2013年12月25日
蒙古襲来絵詞〔晃詳〕
「メリークリスマス!!!!!」
ですが、
ブログの内容は、全然クリスマスではありません(笑)
「元寇(げんこう)」です。
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」です。
ちなみに、
「元寇」とは、鎌倉時代に、モンゴル民族からなる「元」の、2度にわたる日本への侵攻(文永の役・弘安の役)をいい、
「蒙古襲来絵詞」は、御家人であった竹崎季長(たけざきすえなが)が、元寇の際の自分の活躍を描かせたものなのですが、
ひと言でいってしまうと、コレです。

教科書や資料集で、おそらく見たことがあるのではないでしょうか。
最も有名なのは、上のシーンだと思うのですが、
前後巻からなる二巻の絵巻物であるため、
季長が元軍の襲来した博多へ向かうシーンや、
弘安の役にて、「石塁(せきるい)」の前を馬でゆくシーン、
そして、戦いの成果を報告するシーンなどなど、
さまざまな場面が描かれています。
そして、この「蒙古襲来絵詞」が存在するからこそ、
今に生きる私たちが「元寇」のことをイメージで知ることが出来るといっても、
過言ではありません。
さて、少し調べていて、気づきました。
冒頭のシーンにおける竹崎季長(右側)に対する、この3人の元兵(左側)。

実は後から、付け加えて描かれた可能性があるんですね!!!
確かに少し引いて見てみると、

その他の元兵と比べ、筆圧も、戦う姿勢も、明らかに違います。
そもそもの、この「蒙古襲来絵詞」の作られた意図を考えると、
確かに後に加筆された可能性もあるのだと思いますが。。。
いったいいつ頃に、なぜ、どのようなタイミングで???
真実は、分からないこと、ばかりです。
そこがまた、歴史の面白いところだと思います。
ですが、
ブログの内容は、全然クリスマスではありません(笑)
「元寇(げんこう)」です。
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」です。
ちなみに、
「元寇」とは、鎌倉時代に、モンゴル民族からなる「元」の、2度にわたる日本への侵攻(文永の役・弘安の役)をいい、
「蒙古襲来絵詞」は、御家人であった竹崎季長(たけざきすえなが)が、元寇の際の自分の活躍を描かせたものなのですが、
ひと言でいってしまうと、コレです。

教科書や資料集で、おそらく見たことがあるのではないでしょうか。
最も有名なのは、上のシーンだと思うのですが、
前後巻からなる二巻の絵巻物であるため、
季長が元軍の襲来した博多へ向かうシーンや、
弘安の役にて、「石塁(せきるい)」の前を馬でゆくシーン、
そして、戦いの成果を報告するシーンなどなど、
さまざまな場面が描かれています。
そして、この「蒙古襲来絵詞」が存在するからこそ、
今に生きる私たちが「元寇」のことをイメージで知ることが出来るといっても、
過言ではありません。
さて、少し調べていて、気づきました。
冒頭のシーンにおける竹崎季長(右側)に対する、この3人の元兵(左側)。

実は後から、付け加えて描かれた可能性があるんですね!!!
確かに少し引いて見てみると、

その他の元兵と比べ、筆圧も、戦う姿勢も、明らかに違います。
そもそもの、この「蒙古襲来絵詞」の作られた意図を考えると、
確かに後に加筆された可能性もあるのだと思いますが。。。
いったいいつ頃に、なぜ、どのようなタイミングで???
真実は、分からないこと、ばかりです。
そこがまた、歴史の面白いところだと思います。