2020年11月29日

75年ぶりに 〔中村〕

 10月に父方の祖母が逝去した。


 享年105歳。大往生であった。


 最期は子供たちに囲まれて、眠るように逝ったそうだ。


 長生きできて、苦痛を感じることなくその生涯を閉じるとは、最も幸せな死に方だと思う。


 とは言え、


 彼女は昭和20(1945)年の豊橋空襲で夫と幼子1人を失った。(それ故、当時0歳だった私の父は自分の父親を知らない)


 そこからどう生き抜いてきたのかを私は聞いたことがない。




 
 今日、その祖母の四十九日法要が営まれた。


 住職の読経の後、納骨を。


 私が墓の前面を取り外し、土に埋もれていた先祖の骨壺を取り出した。


 その中身を専用の袋に入れ替え、また祖母のお骨も別の袋へ。


 そして2つの袋を並べて納めた。


 


 私は思った。


 祖母は75年ぶりに夫と一緒になれたのだと。


 


 私の母が仏壇を整理していたら、数枚の古い写真が見つかった。


 そこには、若かりし頃の祖母と夫2人の姿が。


 それは私自身、初めて目にする祖父の顔でもあった。



 
 日頃は全く気にもしない先祖の存在と、


 彼らの遺志を今生きる私が少なからず継いでいるのだということを実感できたのも、


 仏となった祖母の導きなのだろう。  


Posted by 立志塾  at 17:06中村

2020年11月28日

神の子[金田]

こう見えて小学校の頃はサッカー少年でした。

小4の時にこの地域でテレビ愛知の放送が始まり、

伝説のサッカー漫画

「キャプテン翼」

のアニメを見られるようになったことがきっかけです。

その後3年間サッカー部に所属しサッカーに明け暮れました。

6年生の時は市内大会で3位になることもできました。

塾生のお父さんで私と同じチーム所属の方もいらっしゃいます!

あの時の我々は熱く熱く燃えていましたよね!

当時の日本のサッカーのレベルはまだ低く、

Jリーグはまだ始まっておらず、

実業団チームによる日本リーグがトップリーグで、

プロ契約の選手もほとんどいない時期でした。

土曜日の夕方に放送されていた、

「三菱ダイヤモンドサッカー」を見て、

海外のすごい選手たちを見るのがとても楽しみだったのを覚えています。

「将軍」プラティニ、「白いペレ」ジーコ、

「鉄人」マテウス、「リンクス」リネカー

などレジェンド達が活躍する時代でした。

そのなかでも一際輝いていたのが

「神の子」ディエゴ・マラドーナその人です。

その卓越した技術に当時の私は彼の虜になり、

利き足を右から彼と同じ左に変え、

マラドーナモデルのシューズを買ってもらい、

毎日、ボールを蹴る日々でした。

その後、1986年のメキシコW杯は、

深夜に眠い目をこすりながらも、

こっそりテレビで試合を見ていました。

準々決勝、アルゼンチン対イングランド

ここで、彼は神の手によるゴールを決め、

その4分後に「世紀のゴール」と呼ばれる

「五人抜き」を決めてみせました。

彼が最も輝いていた瞬間でした。

その「神の子」が先日亡くなりました。

まだ60歳という若さです。

選手時代も引退後も監督時代も、

いろいろとあった人物でしたが、

彼ほど愛されたフットボーラーはいないと思います。

ご冥福をお祈り致します。



ネットで検索したら画像を見つけました。



おそらく私が持っていたのはこれです。

  


Posted by 立志塾  at 00:05金田