2024年12月31日
年の瀬写真館〔塚越〕
20周年

色々と浮かびますが、
改めて「感謝」の一言です。
21年目からも頑張ります!
2倍!

今年はウォーキングとジョギングをはじめました。
こうゆうことは意地になる人ですので、一年間続けました。
来年も一日8000歩を目安に続けていきます!
納竿

今年も言うまでもなくルアー、頑張りました…
昨日が納竿でしたが、最後までビシッと決めました。
この季節にこのサイズのシーバス。
分かってくれる人は、結構すごいですよね…
只今、12月31日午後4時10分


明日も、明後日も頑張ろうぜ!
皆様、良いお年をお迎えください。

色々と浮かびますが、
改めて「感謝」の一言です。
21年目からも頑張ります!
2倍!

今年はウォーキングとジョギングをはじめました。
こうゆうことは意地になる人ですので、一年間続けました。
来年も一日8000歩を目安に続けていきます!
納竿

今年も言うまでもなくルアー、頑張りました…
昨日が納竿でしたが、最後までビシッと決めました。
この季節にこのサイズのシーバス。
分かってくれる人は、結構すごいですよね…
只今、12月31日午後4時10分


明日も、明後日も頑張ろうぜ!
皆様、良いお年をお迎えください。
2024年12月26日
2024年12月25日
2024年12月23日
2024年12月22日
入塾試験〔塚越〕
来年の3月に向け、
今年は昨年以上にお申し込みいただきました。

昨日、7名が受験済み、
体調不良で日にちを変えて受ける生徒もいます。
年末の激務中ではありますが、
27日の金曜日までになんとしてでもお電話します!
今年は昨年以上にお申し込みいただきました。

昨日、7名が受験済み、
体調不良で日にちを変えて受ける生徒もいます。
年末の激務中ではありますが、
27日の金曜日までになんとしてでもお電話します!
2024年12月18日
2024年12月13日
2024年12月11日
2024年12月09日
ヌートリア〔塚越〕

毎日のランニングコースの川沿いにいたヌートリア

市の職員の方が駆除に来ていた。
外来種であり、川の生態系を壊すのであろう。
さよならヌートリア。
2024年12月07日
2024年12月04日
2024年12月03日
2024年12月02日
2024年12月01日
20th (今月号の立志NEWS改訂版) 〔塚越〕
立志塾開校満20周年にあたり
(立志NEWS11月号巻頭改訂版)
今から20年前の2004年。私は以前に勤めていた塾を退社し、新しい塾をつくるための準備を開始した。
場所は? 講師は? カリキュラムは? 机やイス、黒板は? それ以前に塾の名前はどうする?? “
“ 塾をつくるつもりなら、当たり前に決めてあるべきことが何一つ決まっていない ” そんなドタバタな20年前のスタートだった。それほどの突然の退社であり、新しいスタートへの決意だった。
加えて、当時の社員は私と中村(今年3月退社)の2人だけだった。
2004年の11月、私と中村は満喫のペアシートに入りびたり、無謀な量の教材(※現在の塚コンの原型)、各種手続き用紙、入塾テスト、掲示物… ありとあらゆるものをつくり、必要な備品の買い出しに回り、ネットで机、いす、職員室の机やラック…を一気に発注した。※(いすの背中の部分の後ろにCHITOSEって書いてあるものがあれば、それは最初にネットで買ったものです。笑)
牛久保校の校舎の契約が11月20日、開校が12月1日(笑)。つまり、立志塾は10日で準備したのです。笑。
10日の間に、机やイスの搬入、職員室のラックの組み立てや取り付け、教材の整理、各種書類の整理、掲示物の掲示、黒板に至ってはネットで買って私の自宅に届いていたものを中村と2人で担いで運び、2人で壁に取り付けた。
途中で中村が帰ったため、3号教室の黒板は私一人で取り付けた。これはガチできつかった…(※勿論、現在の黒板は業者の方に本格的なものを取り付けてもらっています。)
申し込みの受付も11月から開始し、11月20日時点で67名。つまり、校舎の存在しない塾に67名もの生徒が申し込んでくれました。校舎がないのでお申し込み頂いたご家庭にはすべて家庭訪問をして説明しに行きました。真っ暗なあぜ道を歩いていた時、「ズボッ」って田んぼにはまり込み、下半身泥だらけで説明したことが懐かしい…、「おいおい、この先大丈夫かやー」って本気で思いました。ちなみに、当時の申込者の中には、現在保護者としてお子さんを通わせてくれている方もいますね(笑)。ほんとにありがとう!!
そして開校直前に金田先生と京子先生が加わり、これが立志塾の原型になりました。

開校当初から燻し銀の味
続いて、翌2005年の1月に牟呂校が開校しました。
その後、三橋先生、晃詳先生が加わり、紆余曲折を経て、現在の5人体制に至りました。
現在、塾生数は2校舎で600名を超え(ここ数年毎年超えています)、豊川市、豊橋市においては、ある程度認知される存在になったのかな…と感じています。
20年前、私はなぜ立志塾をつくったのか?
開校当初“100回以上”は聞かれました。
それは立志塾が20年間ずっと変わらず続けていることが、物語っててます。
①講師の安定
⇒講師がコロコロ変わらず、長期的、継続的な指導。
②自学ノート
⇒生徒の努力の跡を知らずに生徒にアドバイスはできない。
③テスト勉強会
⇒30年前、私の知る限りテスト週間に勉強会をやっている塾は存在していませんでした。私が勝手に日曜日に出社して生徒を呼んだことが、この地域の勉強会の始まりだと私は自負しています。
④暗記コンクール(塚コン)
⇒「ある程度の基礎知識、ある程度の暗記する根性、」がない生徒は高校に行っても社会人になっても何事も通用しなくなることを保護者の方こそご存知かと思います。
⑤追試や補習まで可能な限りやりたい。
⇒“授業をして、できる子はできる。できない子はできない。以上。”という具合にはしたくなかった。立志は宿題の不合格者にしつこく、補習もしつこいですよね…
あれから20年経って改めて思います。「立志塾の根幹は変わってないですね。」
「上手くいったこと」も、「上手くいかなかったこと」もたくさん、たくさんありました。
私の場合、「上手くいかなかったこと」ばかりが頭に浮かびます。
この20年間、その「上手くいかなかったことを、どう改善するのか?」 ずっとそればかりやってきた日々だったようにも感じます。
完璧になれないのは承知の上で、それでも「どこまで改善できるか?」
こんな闘いだったように思います。
気づけば私は53歳です。(まだ若いと信じてます…)
立志5人の講師の平均年齢は49歳(円熟味がまだ増していきます。)
この20年間、立志を信じ、立志に通ってくれた何千名の卒塾生と保護者の方々、
そして現在通ってくれている塾生と保護者の方々に改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
3期生からはじまったラストバンド
※1、2期生の生徒はごめんね。
ありがとうございます。
ここから先も立志塾の基本理念は変わりません。
まだまだ成長すべき集団であります。
これからも精進して参ります。
2024年 12月1日
満20歳になった立志塾代表 塚越
(立志NEWS11月号巻頭改訂版)
今から20年前の2004年。私は以前に勤めていた塾を退社し、新しい塾をつくるための準備を開始した。
場所は? 講師は? カリキュラムは? 机やイス、黒板は? それ以前に塾の名前はどうする?? “
“ 塾をつくるつもりなら、当たり前に決めてあるべきことが何一つ決まっていない ” そんなドタバタな20年前のスタートだった。それほどの突然の退社であり、新しいスタートへの決意だった。
加えて、当時の社員は私と中村(今年3月退社)の2人だけだった。
2004年の11月、私と中村は満喫のペアシートに入りびたり、無謀な量の教材(※現在の塚コンの原型)、各種手続き用紙、入塾テスト、掲示物… ありとあらゆるものをつくり、必要な備品の買い出しに回り、ネットで机、いす、職員室の机やラック…を一気に発注した。※(いすの背中の部分の後ろにCHITOSEって書いてあるものがあれば、それは最初にネットで買ったものです。笑)
牛久保校の校舎の契約が11月20日、開校が12月1日(笑)。つまり、立志塾は10日で準備したのです。笑。
10日の間に、机やイスの搬入、職員室のラックの組み立てや取り付け、教材の整理、各種書類の整理、掲示物の掲示、黒板に至ってはネットで買って私の自宅に届いていたものを中村と2人で担いで運び、2人で壁に取り付けた。
途中で中村が帰ったため、3号教室の黒板は私一人で取り付けた。これはガチできつかった…(※勿論、現在の黒板は業者の方に本格的なものを取り付けてもらっています。)
申し込みの受付も11月から開始し、11月20日時点で67名。つまり、校舎の存在しない塾に67名もの生徒が申し込んでくれました。校舎がないのでお申し込み頂いたご家庭にはすべて家庭訪問をして説明しに行きました。真っ暗なあぜ道を歩いていた時、「ズボッ」って田んぼにはまり込み、下半身泥だらけで説明したことが懐かしい…、「おいおい、この先大丈夫かやー」って本気で思いました。ちなみに、当時の申込者の中には、現在保護者としてお子さんを通わせてくれている方もいますね(笑)。ほんとにありがとう!!
そして開校直前に金田先生と京子先生が加わり、これが立志塾の原型になりました。

開校当初から燻し銀の味
続いて、翌2005年の1月に牟呂校が開校しました。
その後、三橋先生、晃詳先生が加わり、紆余曲折を経て、現在の5人体制に至りました。
現在、塾生数は2校舎で600名を超え(ここ数年毎年超えています)、豊川市、豊橋市においては、ある程度認知される存在になったのかな…と感じています。
20年前、私はなぜ立志塾をつくったのか?
開校当初“100回以上”は聞かれました。
それは立志塾が20年間ずっと変わらず続けていることが、物語っててます。
①講師の安定
⇒講師がコロコロ変わらず、長期的、継続的な指導。
②自学ノート
⇒生徒の努力の跡を知らずに生徒にアドバイスはできない。
③テスト勉強会
⇒30年前、私の知る限りテスト週間に勉強会をやっている塾は存在していませんでした。私が勝手に日曜日に出社して生徒を呼んだことが、この地域の勉強会の始まりだと私は自負しています。
④暗記コンクール(塚コン)
⇒「ある程度の基礎知識、ある程度の暗記する根性、」がない生徒は高校に行っても社会人になっても何事も通用しなくなることを保護者の方こそご存知かと思います。
⑤追試や補習まで可能な限りやりたい。
⇒“授業をして、できる子はできる。できない子はできない。以上。”という具合にはしたくなかった。立志は宿題の不合格者にしつこく、補習もしつこいですよね…
あれから20年経って改めて思います。「立志塾の根幹は変わってないですね。」
「上手くいったこと」も、「上手くいかなかったこと」もたくさん、たくさんありました。
私の場合、「上手くいかなかったこと」ばかりが頭に浮かびます。
この20年間、その「上手くいかなかったことを、どう改善するのか?」 ずっとそればかりやってきた日々だったようにも感じます。
完璧になれないのは承知の上で、それでも「どこまで改善できるか?」
こんな闘いだったように思います。
気づけば私は53歳です。(まだ若いと信じてます…)
立志5人の講師の平均年齢は49歳(円熟味がまだ増していきます。)
この20年間、立志を信じ、立志に通ってくれた何千名の卒塾生と保護者の方々、
そして現在通ってくれている塾生と保護者の方々に改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

3期生からはじまったラストバンド
※1、2期生の生徒はごめんね。
ありがとうございます。
ここから先も立志塾の基本理念は変わりません。
まだまだ成長すべき集団であります。
これからも精進して参ります。
2024年 12月1日
満20歳になった立志塾代表 塚越