2008年03月17日
立志から甲子園へ ~頑張れ、松本拓也!!~〔塚越〕
春の風物詩、選抜高校野球。
世代かな・・・
反射的にときめく・・・
私が子供の頃、甲子園に関心のない男子ってクラスに一人もいなかったんじゃないかな。
優勝候補を喧々諤々と語り合うことは、年中行事の一つと言っても過言ではなかった。
数ある甲子園伝説の中でも私はPL学園と池田高校の世代かな。
桑田、清原、まだやってる。すごい。
池田高校の水野がいきなり投手になった時のPLとの対決、私は池田高校派だった。
愛工大名電の工藤(まだ現役)のカーブの曲がり具合に本気であこがれ、ピンポン玉で真似したこと。懐かしい。
甲子園。
特別な輝きを放つ場所。
その甲子園に昨年まで、立志生だった生徒が今年出場する。
“松本拓也”

~常葉菊川~
もう説明はいらない。
昨年の選抜、優勝校。
夏の大会、ベスト4。
今大会、屈指の優勝候補。
野球少年にとって超全国区の大本命。
彼は、現在高校1年生。
高1でこの高校のベンチに入ること、“すごい”という言葉で形容することが失礼なほど、“すごい。”
高1で初めて出場した大会で愛工大名電(愛知県屈指の強豪校。イチローの母校)から1試合で2本のホームランを打ったこと。
常葉菊川のベンチ入りをかけた、先月の紅白戦では4打数4安打に加え、1試合で3盗塁。活躍し過ぎ・・・
すべて、お母さんから立志に次から次へと送られてくる静岡の新聞のコピーのファックスで知った。静岡の新聞では常葉菊川の記事は完全に紙面の主役。サッカー王国静岡ではあるが、常葉菊川の活躍は静岡が野球王国に変わることを主張しているかの勢いである。(お母さん、これからも送って下さい!!)
拓也のベンチ入りが決まった先月下旬のとある夜。
私の携帯の電話が鳴った。
拓也
⇒「先生、報告です。今日、背番号もらいました。」
私
⇒「おめでとうーーーーーーーー!!」
「甲子園の砂、持ってきてよ!!!!」
拓也
⇒「立志のために一袋持ってきますよ!!」
夢のような、会話。
背番号をもらったことも、甲子園の砂をもらえることも嬉しかった。
でも、何よりも背番号をもらったその日の夜に、私に報告してくれたことが嬉しかった。
私は、彼に野球を教えたことなどない。
英語と社会を教えていた。
背番号をもらった日に、そのことをかつての塾講師に真っ先に報告する高校球児、どれだけいるのだろう。
私は幸せである。
彼についてもう少し書きたい。
彼は立志開校時メンバーの一人。
つまり、彼は公民館で入塾試験を受けている。
つまり、私は彼の自宅に行って立志の説明をし、そこでお母さんに申込書を書いてもらっている。
あの、雨の開校日。彼はそこにいた。
自学ノート、勿論やっていた。
⇒どんなに練習で疲れていもしっかりやってきた。
塚コン、勿論受けた。
⇒追試になることもあったが一度も逃げたりしなかった。
テスト週間の開放、勿論参加した。
⇒オール豊川(野球のチーム)の練習が終わってから、そのまま開放に参加してた。
例外など何もなかった。
すべて、やりきって常葉菊川に推薦で進学していった。
つまり、完全無欠の立志生。
文武両道の極み。
ここから先が伝えたいこと。
彼が立志の後輩に残してくれたこと、図りしえない。
彼が毎晩、自宅で素振りしてたこと。知ってた。
彼が毎日、一人で走って体を鍛えていたこと。知ってた。
彼は野球チームに加えて、中学校では陸上部に所属していたこと。知ってた。
それに加えて、立志生だったこと。もちろん、知ってた。
立志塾は宿題が最も多い塾。周りから言われて今、知ってる。
その立志塾に通いつつ、甲子園目指して練習し、“文武両道”を貫くことができるという事実。
今、彼に教えてもらい、知ってる。
立志生諸君。
こんな先輩がいることを、胸に刻み、日々を過ごして欲しい。
そして、拓也。
これからも“立志生の誇り”であり続けて欲しい。
P.S

~お母さん、ご案内ありがとうございました~
24日の月曜日のAM2時50分集合。甲子園弾丸ツアーです。拓也にも電話で行くことを約束しました。
今月号のスポーツ豊川の1面は“松本拓也特集”らしいです。皆さんしっかりチェックしましょう。本人から言われました。
来週の月曜日の朝9時。私は甲子園のアルプスタンドでメガホンを叩きながら静岡県民に負けないくらい常葉菊川を応援している。
世代かな・・・
反射的にときめく・・・
私が子供の頃、甲子園に関心のない男子ってクラスに一人もいなかったんじゃないかな。
優勝候補を喧々諤々と語り合うことは、年中行事の一つと言っても過言ではなかった。
数ある甲子園伝説の中でも私はPL学園と池田高校の世代かな。
桑田、清原、まだやってる。すごい。
池田高校の水野がいきなり投手になった時のPLとの対決、私は池田高校派だった。
愛工大名電の工藤(まだ現役)のカーブの曲がり具合に本気であこがれ、ピンポン玉で真似したこと。懐かしい。
甲子園。
特別な輝きを放つ場所。
その甲子園に昨年まで、立志生だった生徒が今年出場する。
“松本拓也”

~常葉菊川~
もう説明はいらない。
昨年の選抜、優勝校。
夏の大会、ベスト4。
今大会、屈指の優勝候補。
野球少年にとって超全国区の大本命。
彼は、現在高校1年生。
高1でこの高校のベンチに入ること、“すごい”という言葉で形容することが失礼なほど、“すごい。”
高1で初めて出場した大会で愛工大名電(愛知県屈指の強豪校。イチローの母校)から1試合で2本のホームランを打ったこと。
常葉菊川のベンチ入りをかけた、先月の紅白戦では4打数4安打に加え、1試合で3盗塁。活躍し過ぎ・・・
すべて、お母さんから立志に次から次へと送られてくる静岡の新聞のコピーのファックスで知った。静岡の新聞では常葉菊川の記事は完全に紙面の主役。サッカー王国静岡ではあるが、常葉菊川の活躍は静岡が野球王国に変わることを主張しているかの勢いである。(お母さん、これからも送って下さい!!)
拓也のベンチ入りが決まった先月下旬のとある夜。
私の携帯の電話が鳴った。
拓也
⇒「先生、報告です。今日、背番号もらいました。」
私
⇒「おめでとうーーーーーーーー!!」
「甲子園の砂、持ってきてよ!!!!」
拓也
⇒「立志のために一袋持ってきますよ!!」
夢のような、会話。
背番号をもらったことも、甲子園の砂をもらえることも嬉しかった。
でも、何よりも背番号をもらったその日の夜に、私に報告してくれたことが嬉しかった。
私は、彼に野球を教えたことなどない。
英語と社会を教えていた。
背番号をもらった日に、そのことをかつての塾講師に真っ先に報告する高校球児、どれだけいるのだろう。
私は幸せである。
彼についてもう少し書きたい。
彼は立志開校時メンバーの一人。
つまり、彼は公民館で入塾試験を受けている。
つまり、私は彼の自宅に行って立志の説明をし、そこでお母さんに申込書を書いてもらっている。
あの、雨の開校日。彼はそこにいた。
自学ノート、勿論やっていた。
⇒どんなに練習で疲れていもしっかりやってきた。
塚コン、勿論受けた。
⇒追試になることもあったが一度も逃げたりしなかった。
テスト週間の開放、勿論参加した。
⇒オール豊川(野球のチーム)の練習が終わってから、そのまま開放に参加してた。
例外など何もなかった。
すべて、やりきって常葉菊川に推薦で進学していった。
つまり、完全無欠の立志生。
文武両道の極み。
ここから先が伝えたいこと。
彼が立志の後輩に残してくれたこと、図りしえない。
彼が毎晩、自宅で素振りしてたこと。知ってた。
彼が毎日、一人で走って体を鍛えていたこと。知ってた。
彼は野球チームに加えて、中学校では陸上部に所属していたこと。知ってた。
それに加えて、立志生だったこと。もちろん、知ってた。
立志塾は宿題が最も多い塾。周りから言われて今、知ってる。
その立志塾に通いつつ、甲子園目指して練習し、“文武両道”を貫くことができるという事実。
今、彼に教えてもらい、知ってる。
立志生諸君。
こんな先輩がいることを、胸に刻み、日々を過ごして欲しい。
そして、拓也。
これからも“立志生の誇り”であり続けて欲しい。
P.S

~お母さん、ご案内ありがとうございました~
24日の月曜日のAM2時50分集合。甲子園弾丸ツアーです。拓也にも電話で行くことを約束しました。
今月号のスポーツ豊川の1面は“松本拓也特集”らしいです。皆さんしっかりチェックしましょう。本人から言われました。
来週の月曜日の朝9時。私は甲子園のアルプスタンドでメガホンを叩きながら静岡県民に負けないくらい常葉菊川を応援している。