2008年08月12日
初瀬詣で 〔中村〕
突然だが、みなさんは『わらしべ長者』という昔話をご存知だろうか?
ある一人の貧乏人が、「初めに触ったものを大事に持って旅に出ろ」という観音様のお告げを受ける。男は、その直後に石につまずいて転び、そのときにつかんだわらしべ(わら)を手にする。その後、出会う人々と物々交換(わらしべ→ミカン→布→馬→家)を経ていった結果、最後には大金持ちになったという話。
そんな霊験譚の舞台となった場所に行ってきた。なぜか息子と娘と私の母親の4人で。

まずは東名高速を下り......
伊勢湾岸道を抜け......
東名阪で三重県内を南下し......
名阪国道を西へ......

そして、たどり着いたのは近畿地方の山中。
住所は、【奈良県桜井市初瀬731-1】。
そう。また寺である。

真言宗豊山派総本山の寺院、その名を『長谷寺(はせでら)』という。平安時代に貴族の庇護(ひご)を受けるようになり、枕草子や源氏物語など多くの王朝文学にも描かれた日本屈指の観音霊場である。
お目当ては、本尊の十一面観音像(重要文化財)。そう、貧乏人にお告げをなさったとされる仏像である(ただ、現在の本尊は室町時代に再興されたもの)。あの『週刊 日本の仏像』で印象に残った仏像のひとつであった。興福寺・東大寺・向源寺(滋賀県)に続く仏像探訪である。
ここの十一面観音像の魅力は、何と言ってもその大きさ。木造仏でありながら、その像高は何と約10m!!木造なのに10m!!!!(分かってもらえるかなぁ、この凄さ)
もちろん国内最大の木造彫刻である。もう、それだけで私の知的好奇心はゾクゾク、ウズウズしてしまう(ちなみに、奈良の大仏は像高約15mの鋳造仏)。
“そんなスケールに圧倒されてみたい”という、誰にも理解してもらえない(?)願望をかなえるためだけに、車を走らせたわけである。

重厚な構えの仁王門(重要文化財)。「長谷寺」の大額は、江戸時代の後陽成天皇の筆による。

全長200m、399段の石段からなる登廊(重要文化財)。この長谷寺のシンボル的存在を登って本堂へ。

登廊の途中、梅の木を発見。これは、紀貫之が“ひとはいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける”と詠んだ『貫之の梅』である。あまりに畏れ多く、近寄り難かった。


巨大な本尊を納めている本堂(国宝)はやはりデカイ。京都・清水寺と同じ懸造(かけづくり)という建築様式であり、清水の舞台ならぬ「長谷の舞台」が山腹から張り出している。

そこからの眺めは絶景であった。
しばらくの間、視点を虚空に漂わせながら、暑さを忘れ佇んでいた。あまりの充実感に、うっかり真の目的を見失うほどであった。
そして本尊。

その圧倒的な存在感は、私の胸の内を掻き乱した。巨像でありながら完成された造形美、幽玄な静けさ、全てに意味を持つ装飾の数々、微笑むような、また睨んでいるような眼差し......。それらは、時間の流れやここが何処であるかということを忘れさせるほどの、人間の真理・観念の集約された別世界の雰囲気を醸し出していた。
観音様からどんなお告げを受けたかって?
それは内緒にしておこう。
立志生諸君もそうであろうが、いわゆる「歴史の重み」などというものは、軽々しく口にできても、日常生活ではその一端に触れる機会にすら恵まれない。多少の難儀をしてでも足を運び、直接見て、聞いて、そこに漂う空気を胸いっぱいに吸い込むことで、連綿と続く我が国の歴史・文化を直に感じ取ることができるのだと思う。古いようで決して古くはない、普遍的な価値観がそこにはある。私の場合、殊に仏教・仏像がそれにあたる。30代にして、ようやくそういった感覚を持てるようになってきた。
今回の参詣で、日本にはまだまだ自分の知らない場所、世界があることを再認識した。そして、人生を学ぶための仏像探訪はまだまだ続く......。
ある一人の貧乏人が、「初めに触ったものを大事に持って旅に出ろ」という観音様のお告げを受ける。男は、その直後に石につまずいて転び、そのときにつかんだわらしべ(わら)を手にする。その後、出会う人々と物々交換(わらしべ→ミカン→布→馬→家)を経ていった結果、最後には大金持ちになったという話。
そんな霊験譚の舞台となった場所に行ってきた。なぜか息子と娘と私の母親の4人で。

まずは東名高速を下り......
伊勢湾岸道を抜け......
東名阪で三重県内を南下し......
名阪国道を西へ......

そして、たどり着いたのは近畿地方の山中。
住所は、【奈良県桜井市初瀬731-1】。
そう。また寺である。

真言宗豊山派総本山の寺院、その名を『長谷寺(はせでら)』という。平安時代に貴族の庇護(ひご)を受けるようになり、枕草子や源氏物語など多くの王朝文学にも描かれた日本屈指の観音霊場である。
お目当ては、本尊の十一面観音像(重要文化財)。そう、貧乏人にお告げをなさったとされる仏像である(ただ、現在の本尊は室町時代に再興されたもの)。あの『週刊 日本の仏像』で印象に残った仏像のひとつであった。興福寺・東大寺・向源寺(滋賀県)に続く仏像探訪である。
ここの十一面観音像の魅力は、何と言ってもその大きさ。木造仏でありながら、その像高は何と約10m!!木造なのに10m!!!!(分かってもらえるかなぁ、この凄さ)
もちろん国内最大の木造彫刻である。もう、それだけで私の知的好奇心はゾクゾク、ウズウズしてしまう(ちなみに、奈良の大仏は像高約15mの鋳造仏)。
“そんなスケールに圧倒されてみたい”という、誰にも理解してもらえない(?)願望をかなえるためだけに、車を走らせたわけである。

重厚な構えの仁王門(重要文化財)。「長谷寺」の大額は、江戸時代の後陽成天皇の筆による。

全長200m、399段の石段からなる登廊(重要文化財)。この長谷寺のシンボル的存在を登って本堂へ。

登廊の途中、梅の木を発見。これは、紀貫之が“ひとはいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける”と詠んだ『貫之の梅』である。あまりに畏れ多く、近寄り難かった。


巨大な本尊を納めている本堂(国宝)はやはりデカイ。京都・清水寺と同じ懸造(かけづくり)という建築様式であり、清水の舞台ならぬ「長谷の舞台」が山腹から張り出している。

そこからの眺めは絶景であった。
しばらくの間、視点を虚空に漂わせながら、暑さを忘れ佇んでいた。あまりの充実感に、うっかり真の目的を見失うほどであった。
そして本尊。

その圧倒的な存在感は、私の胸の内を掻き乱した。巨像でありながら完成された造形美、幽玄な静けさ、全てに意味を持つ装飾の数々、微笑むような、また睨んでいるような眼差し......。それらは、時間の流れやここが何処であるかということを忘れさせるほどの、人間の真理・観念の集約された別世界の雰囲気を醸し出していた。
観音様からどんなお告げを受けたかって?
それは内緒にしておこう。
立志生諸君もそうであろうが、いわゆる「歴史の重み」などというものは、軽々しく口にできても、日常生活ではその一端に触れる機会にすら恵まれない。多少の難儀をしてでも足を運び、直接見て、聞いて、そこに漂う空気を胸いっぱいに吸い込むことで、連綿と続く我が国の歴史・文化を直に感じ取ることができるのだと思う。古いようで決して古くはない、普遍的な価値観がそこにはある。私の場合、殊に仏教・仏像がそれにあたる。30代にして、ようやくそういった感覚を持てるようになってきた。
今回の参詣で、日本にはまだまだ自分の知らない場所、世界があることを再認識した。そして、人生を学ぶための仏像探訪はまだまだ続く......。