2017年09月18日
文豪の片鱗に触れる 〔中村〕
中3国語教科書に森鷗外著「高瀬舟」が収録されています。
鷗外といえば、日本の文豪の筆頭です。
しかしながら、生徒諸君の文学に対する造詣は皆無で、鷗外や漱石について説明しても、みな目をパチクリしているのみでした。。。。
まあ、文学に興味を持つのはこれからですかね、、、、、、、。
それでも文豪と呼ばれる小説家には、そう呼ばれるだけの技量、文才や芸術的な表現力が随所に見受けられる訳で、
我々凡人は、ふと流し読みしてしまいがちな中にも、やはり真似できないな、と思わせる文体が独特な世界を形成しているものです。
『安楽死』が主題のこの作品は、主に①役人庄兵衛の胸の内と②罪人喜助の告白という構成になっているのですが、
①役人庄兵衛の胸の内では、現状に満足できず、欲望には際限など無いものであるという人間のありのままの姿を淡々と描き、
②罪人喜助の告白では、彼がやむを得ず弟の命を奪うに至った経緯を、一切改行せず、しかも事件の様子を精緻な表現力をもって生々しく描いています。
教科書9ページ程度の分量でありながら、充分に読みごたえのある小説です。
多くの生徒にとって、最初で最後の鷗外作品となってしまうかもしれません。
中2時の「走れメロス」の太宰治といい、この鷗外といい、文芸の傑作の片鱗に触れ、何かしら感じるものがあればいいなと思います。
「高瀬舟」の作中にわずかにある、情景描写がこちら。
“その日は暮れ方から風がやんで、空一面を覆った薄い雲が月の輪郭をかすませ、ようよう近寄ってくる夏の暖かさが、両岸の土からも、川床の土からも、もやになって立ち上るかと思われる夜であった。”
エンディングのラストの一文が私のお気に入りです。
“次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面を滑っていった。”
う~~ん。。。。こんな文を書いてみたい。
鷗外といえば、日本の文豪の筆頭です。
しかしながら、生徒諸君の文学に対する造詣は皆無で、鷗外や漱石について説明しても、みな目をパチクリしているのみでした。。。。
まあ、文学に興味を持つのはこれからですかね、、、、、、、。
それでも文豪と呼ばれる小説家には、そう呼ばれるだけの技量、文才や芸術的な表現力が随所に見受けられる訳で、
我々凡人は、ふと流し読みしてしまいがちな中にも、やはり真似できないな、と思わせる文体が独特な世界を形成しているものです。
『安楽死』が主題のこの作品は、主に①役人庄兵衛の胸の内と②罪人喜助の告白という構成になっているのですが、
①役人庄兵衛の胸の内では、現状に満足できず、欲望には際限など無いものであるという人間のありのままの姿を淡々と描き、
②罪人喜助の告白では、彼がやむを得ず弟の命を奪うに至った経緯を、一切改行せず、しかも事件の様子を精緻な表現力をもって生々しく描いています。
教科書9ページ程度の分量でありながら、充分に読みごたえのある小説です。
多くの生徒にとって、最初で最後の鷗外作品となってしまうかもしれません。
中2時の「走れメロス」の太宰治といい、この鷗外といい、文芸の傑作の片鱗に触れ、何かしら感じるものがあればいいなと思います。
「高瀬舟」の作中にわずかにある、情景描写がこちら。
“その日は暮れ方から風がやんで、空一面を覆った薄い雲が月の輪郭をかすませ、ようよう近寄ってくる夏の暖かさが、両岸の土からも、川床の土からも、もやになって立ち上るかと思われる夜であった。”
エンディングのラストの一文が私のお気に入りです。
“次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面を滑っていった。”
う~~ん。。。。こんな文を書いてみたい。
Posted by 立志塾
at 00:02
│中村