2016年04月19日
③へ〔塚越〕
他愛もない日常生活にはじまり、
仕事であれ、勉強であれ、人間関係であれ…
上手くいかないことがほとんどである。
少し想像すれば、自分だけではないことに気付きますね。
あらゆることは容易く “サッサッ” とはいかない。
私であれば、
こうして打っている最中のパソコンの文字変換が上手く行かない。(苦笑)
すごくイライラします。
日々のたいていのことはイライラすることの連続です。
上手くいかない時は選択肢が出てきます。
パソコンの話で言えば、
①ブログを打つのを辞めてしまう。
②“”もっと便利にならんかやー” とぼやきつつも打つ。
③さらなるブラインドタッチを向上を目指して、頑張って打つ。
④使用者の思考回路を感知し、漢字変換を予測するソフトを自分で開発する。
こんな感じでしょうか…
ここで大前提となるのは“肯定”か“否定”の選択なんですね。
まず、否定する①の人。
やらない理由
やれない理由
何が悪い
誰が悪い
ここに “スッ” と思考回路が向かう人。
すべてのことに “やらない理由” ってあります。
この結論に向かって一瞬だけ全力になって走り、
結局は “やらない”人。
これが当たり前になっていくと、幸せから離れていくんだろうと思う。
たいていの人は②か③で、
“やる。” って決めたのであれば、③の方が良いですね。
いちいち文句を言ったところで、
その時間が無駄であることにいつか気付きます。
合理的であれば③に変われるでしょう。
で、④の人が世の中を変える人なんでしょうが、
②や③より、苦痛と労力、能力も伴うことは言うまでもありません。
圧倒的に大変なことです。
そしてもう少し深く考えれば、
世の中で、ある程度思い通りに日々を過ごせている大人のほとんどは、
③であることに気付きますね。
さらにもう少し深く考えれば、
③の人たちが①の人たちを容易く認めないだろうことにも気付きます。
認められない幸せって、あり得るのだろうか?
これが言いたいことです。
仕事であれ、勉強であれ、人間関係であれ…
上手くいかないことがほとんどである。
少し想像すれば、自分だけではないことに気付きますね。
あらゆることは容易く “サッサッ” とはいかない。
私であれば、
こうして打っている最中のパソコンの文字変換が上手く行かない。(苦笑)
すごくイライラします。
日々のたいていのことはイライラすることの連続です。
上手くいかない時は選択肢が出てきます。
パソコンの話で言えば、
①ブログを打つのを辞めてしまう。
②“”もっと便利にならんかやー” とぼやきつつも打つ。
③さらなるブラインドタッチを向上を目指して、頑張って打つ。
④使用者の思考回路を感知し、漢字変換を予測するソフトを自分で開発する。
こんな感じでしょうか…
ここで大前提となるのは“肯定”か“否定”の選択なんですね。
まず、否定する①の人。
やらない理由
やれない理由
何が悪い
誰が悪い
ここに “スッ” と思考回路が向かう人。
すべてのことに “やらない理由” ってあります。
この結論に向かって一瞬だけ全力になって走り、
結局は “やらない”人。
これが当たり前になっていくと、幸せから離れていくんだろうと思う。
たいていの人は②か③で、
“やる。” って決めたのであれば、③の方が良いですね。
いちいち文句を言ったところで、
その時間が無駄であることにいつか気付きます。
合理的であれば③に変われるでしょう。
で、④の人が世の中を変える人なんでしょうが、
②や③より、苦痛と労力、能力も伴うことは言うまでもありません。
圧倒的に大変なことです。
そしてもう少し深く考えれば、
世の中で、ある程度思い通りに日々を過ごせている大人のほとんどは、
③であることに気付きますね。
さらにもう少し深く考えれば、
③の人たちが①の人たちを容易く認めないだろうことにも気付きます。
認められない幸せって、あり得るのだろうか?
これが言いたいことです。
Posted by 立志塾
at 00:05
│塚越