2008年01月16日
縁起 〔中村〕

最近、私の中で、仏教の入門書に人生たるものを学ぼうという機運が勝手に盛り上がり、夜な夜な掴みどころのないものに思いを巡らせている。
仏教用語に『縁起(えんぎ)』という言葉がある。“縁起かつぎ”“縁起が良い(悪い)”など今日の我々の日常生活で誤って使用されることが多い。
そもそもこの言葉、自分にとっての都合に合う合わないことを指し示す訳ではなく、「すべてが、縁(よ)りて起こることだ」という思想からきている。もう少し簡単に表現するならば、「森羅万象すべてのものが関係し合ってお互いの存在を支えている」という観念である。人は独りで生きていけない、とよく言うが、現在の自分が現在の状態(体調しかり、家庭内での立場しかり、社会的地位しかり、そして生きているという事実しかり)でいることができるのは、この縁起の理(ことわり)がこの世を貫いているためであるという。
“最初から自分というものが存在しているのではない。
多くの人と物との関係から自分というものが今ここにこういうふうにありえている”
(白取春彦著『仏教「超」入門』すばる舎 より出典)
保育園に通う息子の同級生が病気のためこの世を去ったことを妻から聞かされたのは昨夜のこと。
最近は入院のため欠席が多かったのだという。幼子の死..........親御さんのやるせない思いを察すると強く胸が締め付けられた。保育園の行事などでその子を知っていたので、私は言葉を失い、涙がこぼれそうになった。
こんな悲しみや苦しみをも縁起に起因するものというのか.......。
彼は多くの人に支えられ6年の生涯を全うしたのである。
彼の短い人生で出会った(縁のあった)お友達として、今日、息子は妻とともに通夜に出て最後の別れを告げた。
我々はもがきながら現実の世を生きている。まだ何も悟れていないなと感じる。
この世の中の一切が自分という存在を支えている。自分もまた他人や周囲の物・環境の存在を支えている。社会との縁起、家族との縁起、塚越・金田・京子先生たちとの縁起、立志生たちとの縁起、保護者の方々との縁起........私がいまの私でいられるこの縁起を大切にし、よりよいものにしようと努めてゆくことが自他の人生を磨くことにつながっていくのだろう。
立志塾の存在が立志生の全員にとってかけがえのないものでありますように.......目の前でテスト勉強に励む中3生たちの姿を見ながらそう思った。
Posted by 立志塾
at 19:20
│中村