2008年02月10日
“社員”ではなく“先生”〔塚越〕
昨今、リストラという言葉が新聞紙面を踊らなくなったものの、“合理化” “生き残り”をスローガンとした企業合併は依然として後を絶たない。 あたかも「規模が大きい」=「質が良い。」という単純な図式を描かせるような社会の動きである。
確かに、巨額な投資の必要な自動車などの『製造業』には当てはまるであろう。トヨタより良い車、一から作ることを考えようとも思わない。
『アパレル』に関しては安価なアジアの労働力に頼らねば、もはや戦うことはできない現実がある。小規模の会社では太刀打ちできない部分もあるだろう。
銀行、生命保険などの『金融業界』では合理化だけでなく“グローバル化”というペリーの来航にまで立ち向わなければならない。
さらに、コンビニ、スーパーなど『小売業』ではコスト削減こそが生命線とも言える。
しかし、
『規模と質が無関係』な業種、
いや、我々が無意識に『規模ではなく』まず、『質』を優先させて選んでいる業種、たくさんある。
私の実生活に関わりのあるものを列挙するだけでも、
《歯医者》
チェーン店は存在するのだろうか。私は単純なので“痛くない、治療が早い、待ち時間が短い”そして、何より“評判が良い”とこに行く。
《税理士》
当たり前だが、“知識が豊富”、“正義感が強い”“きっちりしている”そして、“評判が良い”とこにお願いしている。
《鍼灸院》
私は通っていないが、私の母親は常日頃言っている。あそこは“腕が良い”“親切だ”そして、“評判が良い”と自慢している。
共通していること。「あの人がやっているから・・・」
これが選ぶ基準の90%は占めてるのではないだろか。
子供が通う《内科医》も、以前に相談したことのある《弁護士》も同じである。
“規模がでかい”という理由で全く選んでいない。
そして、《塾講師》
これらに共通していることがある。
そうです。
全部、 「先生」 と呼ばれる職業。
「先生」は「個人(人間)の質」こそが商品。
その他の周辺事項は、決定的に重要ではない。
「先生の質」は決定的に重要。
その「質」を計る基準は何なのか?
「評判」
傲慢と思われても構わない。
生徒諸君は「私のいない立志牛久保校」、「金田のいない立志牟呂校」へ通うだろうか?
そこが結論。
“社員”ではなく
我々は“先生”でありたい。
「あの先生がいるから・・・」
こう思ってもらえる「先生」でありつづけること。
これが我々の究極に目指すところ。
確かに、巨額な投資の必要な自動車などの『製造業』には当てはまるであろう。トヨタより良い車、一から作ることを考えようとも思わない。
『アパレル』に関しては安価なアジアの労働力に頼らねば、もはや戦うことはできない現実がある。小規模の会社では太刀打ちできない部分もあるだろう。
銀行、生命保険などの『金融業界』では合理化だけでなく“グローバル化”というペリーの来航にまで立ち向わなければならない。
さらに、コンビニ、スーパーなど『小売業』ではコスト削減こそが生命線とも言える。
しかし、
『規模と質が無関係』な業種、
いや、我々が無意識に『規模ではなく』まず、『質』を優先させて選んでいる業種、たくさんある。
私の実生活に関わりのあるものを列挙するだけでも、
《歯医者》
チェーン店は存在するのだろうか。私は単純なので“痛くない、治療が早い、待ち時間が短い”そして、何より“評判が良い”とこに行く。
《税理士》
当たり前だが、“知識が豊富”、“正義感が強い”“きっちりしている”そして、“評判が良い”とこにお願いしている。
《鍼灸院》
私は通っていないが、私の母親は常日頃言っている。あそこは“腕が良い”“親切だ”そして、“評判が良い”と自慢している。
共通していること。「あの人がやっているから・・・」
これが選ぶ基準の90%は占めてるのではないだろか。
子供が通う《内科医》も、以前に相談したことのある《弁護士》も同じである。
“規模がでかい”という理由で全く選んでいない。
そして、《塾講師》
これらに共通していることがある。
そうです。
全部、 「先生」 と呼ばれる職業。
「先生」は「個人(人間)の質」こそが商品。
その他の周辺事項は、決定的に重要ではない。
「先生の質」は決定的に重要。
その「質」を計る基準は何なのか?
「評判」
傲慢と思われても構わない。
生徒諸君は「私のいない立志牛久保校」、「金田のいない立志牟呂校」へ通うだろうか?
そこが結論。
“社員”ではなく
我々は“先生”でありたい。
「あの先生がいるから・・・」
こう思ってもらえる「先生」でありつづけること。
これが我々の究極に目指すところ。
Posted by 立志塾
at 11:44
│塚越